2006年度調査研究報告
緩和ケアにおける代理評価尺度STAS-J症状版の評価者間信頼性の検討
東京大学大学院医学系研究科・講師
宮下 光令
I 調査研究の目的・方法
緩和ケアの目的は、治癒を目指した治療が有効でなくなった患者に対する積極的な全人的ケアであり、痛みやその他の症状のコントロール、 精神的、社会的、霊的問題の解決が最も重要な課題となる1)。特に最も重要である症状コントロールのためには、医療者による正確な症状 評価が基本となる。緩和ケアにおける症状評価は患者による主観的評価と医療者による代理評価に分けられる。患者による主観的評価尺度 としては、多くの症状をNumerical Rating Scaleで同時に測定するMDASI-J(Japanese version MD Anderson Symptom Inventory)2)や個々の 症状を測定する尺度が既に開発されている。しかし、このような患者の主観的評価による尺度は心身ともに脆弱である終末期のがん患者には 実施できないことが多い。そのような場合、医療者による代理評価によって症状を評価することが必要になる。STAS(Support Team Assessment Schedule)は英国で開発された緩和ケアにおける代理評価尺度であり、海外で広く用いられて来た3, 4)。 STAS-J (Japanese version Support Team Assessment Schedule)はSTASの日本語版である5)。STAS-Jは「1. 痛みのコントロール」 「2. 症状が患者に及ぼす影響」「3. 患者の不安」「4. 家族の不安」「5. 患者の病状認識」、「6. 家族の病状認識」「7. 患者と家族の コミュニケーション」「8. 職種間のコミュニケーション」「9. 患者・家族に対する医療スタッフのコミュニケーション」の9つの項目で構成される。 それぞれの項目は5段階の順位尺度で評価し、患者をケアする医療者が評価する。5段階のそれぞれには、相当する患者の状態を表す指示文が つけられており、それによって、異なる評価者であっても信頼性のある評価がなされるようになっている。STAS-Jは日本語版の作成に際し、 信頼性・妥当性の検討を行っており5)、英国、カナダにおける結果3, 4)とほぼ同様の信頼性・妥当性を有することが示されている。
STAS-Jでは患者の身体症状の評価は「1.痛みのコントロール」「2.症状が患者に及ぼす影響」の2項目で評価される。これは、 痛み以外の症状のすべてを「2. 症状が患者に及ぼす影響」で評価することを意味する。STAS-Jでは「2. 症状が患者に及ぼす影響」はSTAS評価 用紙に最も問題となる患者の症状を記入し、それがどの程度日常生活の支障となっているかを0-4の5段階で評価することになる。これは患者に よって評価される症状が異なることを意味している。日本語版の信頼性・妥当性の検討の際にも、そのように問題となる症状が異なる状態で 評価された。しかし、院内緩和ケアチームなどの急性期におけるアセスメントを行う場合には、複数の症状を同時に評価しなければならない場合 が多い。そのため、英国ではEdmondsらは院内緩和ケアチームでSTAS-Jの「2. 症状が患者に及ぼす影響」を用いて症状の評価を行った結果を報告 している6)。我が国でもMoritaらは院内緩和ケアチームの対象患者に対して、紹介時と1週間後の症状を評価し、痛み、嘔気、嘔吐、便秘、 呼吸困難、不眠などの症状が改善したことを報告している7)。しかし、これらの研究において、「2. 症状が患者に及ぼす影響」を用いて個々の 症状を評価することの信頼性については未検証である。
個々の症状は、客観的に観察できる症状から、不安などの客観的な観察が難しい症状まで幅広く、症状別に、STAS-Jを用いた代理評価の信頼性を 検討することは重要である。そこで、緩和ケアにおける代理評価尺度STAS-J症状版を作成し、評価者間信頼性を検証することを目的として本研究 を行った。
II 調査研究の内容・実施経過
調査対象は研究参加施設(筑波大学附属病院、東京大学医学部附属病院)において、院内緩和ケアチームに紹介があった患者とした。 適格基準は(1)紹介の理由となった疾患が悪性新生物であること、(2)緩和ケア加算を算定するための患者または家族の同意が取得済み であること、(3)初診日を含め2日間以内に固定された評価者2名が患者を直接訪問できた患者、(4)患者の年齢が20歳以上であることとした。 緩和ケアチームへの紹介後、適格基準を満たした患者について、紹介時(紹介後2日以内)および紹介1週間後に通常診療の終了後、緩和ケア医1名、 看護師1名が独立して調査票に記入した。その日の診療後に調査票に記入する以外は、通常の日常診療と同様に行動し、調査を意識した患者からの 念入りな情報収集や医療者間の情報交換は行わないように注意した。研究期間は2006年7月~2007年2月であった。調査項目は疼痛、しびれ、全身倦怠感、呼吸困難、咳、痰、嘔気、嘔吐、腹部膨満感、口渇、食欲不振、便秘、下痢、発熱、眠気、不眠、抑うつ、 せん妄、不安、浮腫の合計20の症状についてSTAS-Jの「2. 症状が患者に及ぼす影響」を用いて評価するものをSTAS-J症状版とした。具体的には、 「0=なし」「1=時折、断続的。患者は今以上の治療を必要としない(現在の治療に満足している、介入不要)」「2=中程度。特に悪い日もあり、 日常生活動作に支障をきたすことがある。(薬の調整や何らかの処置が必要だが、ひどい症状ではない)」「3=しばしばひどい症状があり、 日常生活動作や集中力に著しく支障をきたす。(重度、しばしば」「4=ひどい症状が持続的にある。(重度、持続的)」の5段階である。
その他、患者背景として、年齢、性、原発部位、ステージ、ECOG PS、予後予測(PPI)8)、病名告知(紹介時)、STAS-Jを用いて病状理解 (紹介時)および医療者との関係(紹介時)を記録した。
分析方法は、はじめに患者背景について記述統計を示した。次に紹介時および紹介1週間後のそれぞれの症状の有症率を算出し、それぞれの 症状の程度について、STAS-J症状版得点の平均と標準偏差を記述した。有症率はそれぞれの項目のSTAS-J症状版による評価で1以上の値があった 患者の割合とした。最後に、評価者間信頼性の検討として、紹介時、紹介後1週間に評価者間の級内相関係数とその95%信頼区間を計算した。 また、一致率として、完全に一致した割合および完全一致または±1の一致の割合を計算した。
本研究は筑波大学附属病院、東京大学医学部附属病院における施設内倫理委員会による承認を得て実施した。
III 調査・研究の成果
紹介時の調査対象者数は120名であった。そのうち紹介1週間後の評価が可能だったものは92名(77%)であった。対象者の背景について 表1に示す。年齢は平均63±12であり、性は男が58%であった。原発部位は肺が16%、胃・食道が16%、膵臓が15%、泌尿器が11%、子宮・卵巣が 11%であった。ステージはⅢが2%、Ⅳが95%であった。ECOG PSは0が0%、1が15%、2が21%、3が41%、4が22%であった。予後予測(PPI)は 3週未満が8%、3週以上6週未満が14%、6週以上が71%であった。紹介時病名告知は96%でなされていた。紹介時の病状理解が不十分だったもの (STAS-J評価で2以上)は11%であり、医療者との関係が不十分であったもの(STAS-J評価で2以上)は20%であった。患者の有症率と症状の程度について表2に示す。紹介時の有症率は疼痛88%、しびれ33%、全身倦怠感80%、呼吸困難30%、咳11%、痰20%、 嘔気27%、嘔吐18%、腹満40%、口渇67%、食欲不振84%、便秘63%、下痢6%、発熱36%、眠気43%、不眠73%、抑うつ13%、せん妄23%、 不安88%、浮腫36%であった。紹介時の症状の程度の平均は医師評価で0.09-1.89、看護師評価で0.04-2.01であった。紹介1週間後の有症率は 疼痛85%、しびれ34%、全身倦怠感73%、呼吸困難24%、咳12%、痰17%、嘔気18%、嘔吐12%、腹満39%、口渇63%、食欲不振80%、便秘52%、 下痢5%、発熱38%、眠気50%、不眠39%、抑うつ18%、せん妄24%、不安88%、浮腫35%であった。紹介1週間後の症状の程度の平均は医師 評価で0.05-1.24、看護師評価で0.02-1.26であった。
紹介時の評価者信頼性の結果を表3に示す。級内相関係数は疼痛0.74、しびれ0.77、全身倦怠感0.44、呼吸困難0.67、咳0.61、痰0.56、 嘔気0.60、嘔吐0.48、腹満0.75、口渇0.19、食欲不振0.42、便秘0.61、下痢0.53、発熱0.18、眠気0.49、不眠0.02、抑うつ0.71、せん妄0.89、 不安0.42、浮腫0.49であった。評価者間一致率は一致で37-89%、一致または±1の一致で71-97%であった。
紹介1週間後の評価者信頼性の結果を表4に示す。級内相関係数は疼痛0.65、しびれ0.54、全身倦怠感0.56、呼吸困難0.72、咳0.73、痰0.69、 嘔気0.81、嘔吐0.80、腹満0.83、口渇0.22、食欲不振0.59、便秘0.66、下痢0.20、発熱0.36、眠気0.34、不眠0.63、抑うつ0.37、せん妄0.92、 不安0.48、浮腫0.62であった。評価者間一致率は一致で53-96%、一致または±1の一致で73-100%であった。