今月のコラム |
兵庫大学大学院元特任教授
ホスピス財団評議員 窪寺 俊之
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一瞬はどのくらい重いのか
「油断大敵」。氷の上で足を滑らせて転倒し、左足の膝の複雑骨折。一瞬の出来事であるが、気付いた時には自力で立ち上がることさえできなかった。 救急車で病院に運ばれて検査すると、左足の膝の関節のお皿が割れて手術が必要と診断された。 なんという大事件!。入院の必要が決まり、即時、医師や看護師の皆様のお世話になる生活が始まった。 手術は一週間後と決まり、手術のための検査や治療が始まった。ベットの上に身体を横たえながら、自分の不注意を悔いることが多かった。 何故、あの時、気をつけなかったのか。ほんの一瞬の出来事であったが、その一瞬の出来事に支払う犠牲の大きさに心は苦しんだ。いくつか日程を組んでいたので、病室から電話をして事情を説明し、予定変更をお願いしなくたはならなかった。先方はお体に気をつけて早い回復を願っていますと慰めて下さったが、私の気持ちは、申し訳なくて心が痛んだ。会の当事者の労力や費やした時間を思うと私の心は、何故、あの時注意しなかったのかと自分を責めた。あの「一瞬の出来事」の重大さを悔いた。取り返しのできない一瞬であった。 手術の前には、担当の医師が訪室して手術の仕方を説明してくださり、私はどうぞよろしくお願いしますと言った。手術は成功してベットに縛られる日々が続いた。看護師が点滴、投薬、検温、血糖値の検査、食事、排便など助けて下さった。看護師は病気の回復の様子を見ながら順調に回復していますと励まして下さった。 ある看護師が手術後、まだ、強い痛みがあったとき、左脚の処置をしてくれた。さらに点滴や投薬、検温などをして、部屋のカーテンを開けたり、テーブルの上の紙屑や歯ブラシなどを片付けてくれた。看護師としての職務を終えて、病室を去る瞬間、私の方を振り向いて「これで大丈夫ですか」と尋ねてくれた。彼女は一瞬立ち止まって、こちらの顔を見て尋ねてくれたのである。看護婦の職務が終わったが、次の一瞬に「これで大丈夫ですか」と聞いて下さった中に、私が「患者」から一人の「人間」として扱われたと感じた。その看護師の人としての温もりや人への優しさが私の心を動かした。私の心の奥深くに届く配慮の心であった。 「一瞬はどのくらい重いのか」と最初に問うた。勿論、「一瞬の重さ」など物理的重さなどない。しかし、その一瞬がもつ精神的、心理的「意味」の大きさは非常に大きいことに気が付いた。 周りの人たちに迷惑をかけした犠牲は取り返しができない。その意味で「一瞬」は非常に重い。同時に、一人の看護師が、私に注いでくれた「『これで大丈夫ですか』と声をかけて下さった一瞬」は、一言で語り尽くせないほどの人と人との温かみや思いやりを伝える「重い一瞬」だった。彼女の優しい人柄は勿論、人生での嬉しい経験や辛い体験が凝縮されて表現された一瞬でもあったように感じた。 医療はアートだと言われている。「アート」(art)とは、技術という「意味」と「芸術」という意味がある。医療は病気を治療する知識や技術が求められる。同時に病気に苦しむ患者への心の通う配慮、思いやり、優しさが必要である。私は転倒し膝を骨折することで「一瞬の出来事」に心を痛め、また、慰められる経験をした。 ギリシャ語ではクロノスとカイロスという言葉があるという。クロノス(Chronos)は、客観的な時間で時計で測定できる時の意味。一方、カイロス(Kairos)は、主観的な時間である。 同じ一瞬でも個人的意味は異なることを表している。 私の経験は、このカイロスの重要性を教えてくれたように感じる。そして、私たちの人間関係ではカイロスが大切だと感じた。たとえ一瞬であっても、人の人生を明るくもし、暗くもする一瞬になることを教えられた。一瞬に発する言葉に、優しさや思いやりが込められる人になりたいと改めて教えられたのである。 ホスピスの働きを思ったとき、カイロスの重要性を改めて考えさせられた。ホスピスでの出会いは、長い人生の中での一瞬の出会いかもしれないが、同時に一瞬に発する言葉が終末期を生きる患者様の人生を明るくし、生きる力を引き出すことができるのだと思わされた。その意味でホスピスは時間をこえる希望に関わる働きである。 |
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ホスピス・緩和ケアに関する新聞記事の紹介 |
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・自宅での看取りと救急車 在宅医療の普及で、自宅で最期を迎えたい人が多いが、いざという時に、慌てて救急車を呼ぶ例が多い。救急医療は救命が最優先されるため、それを希望していないにも関わらず、処理されることになる。このようなことが起こる前に、しっかり準備しること、かかりつけ医、家族とよく話し合うことが必要であることを紹介した記事。 (毎日新聞 2023/03/23 夕刊掲載) |
・死と生を見つめて 第2部 死生学 「死生学」への関心が高まっている。この分野で研究、活動をつづけている宗教学者、島薗進氏をはじめ、大学院で死生学を学んだ理学療法士の高田雅子氏、関西学院大学で死生学講座を受け持つ藤井美和氏および、スピリチュアルケア師の資格を持つ、協立記念病院緩和ケア病棟へ訪問し患者さんとの交流を続けている中井珠惠氏の4名に取材し、死生学の現状を伝えた特集記事。 (読売新聞 2023/03/14〜18 連載) |
・悲しむ人に寄り添う視点・・・柳田邦男氏 航空機事故や、終末期医療、「生と死」をテーマに据えたノンフィクションの秀作を世に送り出した柳田邦男氏の生い立ちから、その思考過程をたどり、作品の背景にある氏の信念を紹介した記事。 (読売新聞 2023/03/13 掲載) |
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